「続・老いてからでは遅すぎる<番外編>」〜 男子76歳にして厨房に入る 〜
序章 料理研究家・土井善晴さんを ‘勝手に’ 師と仰ぐ
私は若いころからずっと「文芸春秋」を愛読している。毎月10日になると、まだ前号、いや前々号もしっかり読んでいないのに、また1か月の時が過ぎて、という暦がわりになっている。
しかし、昨日発売になった特集「日本の食が危ない」の特集で、土井善晴さんの、「和食文化を救う一汁一菜」には打たれてしまった。
地方出張中だが、早く土井さんの本を読みたくて、「今、なぜ一汁一菜か」kindle版を買って読みふけた。
「この本はお料理をつくるのがたいへんだと感じている人に読んでほしいのです。」から始まって、「暮らしにおいて大切なことは、自分自身の心の置き場、心地よい場所に帰ってくる生活のリズムを作ることだと思います。その柱となるのが食事です」
そしてご飯を中心にしたみそ汁と発酵漬物をベースにした‘一汁一菜’で基本を作りなさいという。
考えてみれば76年間、生れてからは母、そして結婚してからは妻の私好みの手料理がいつも目の前に当然のようにある環境で、そんな食の哲学を考えてみたことがない自分には土井さんの話は新鮮で仕方がない。
でも、私は畑で農業の真似事をし、干した大根で沢庵をつけているわけだから、私も土井善晴教に入信する資格はあるのだ。
第1章からは私の一汁一菜を時々ご紹介してみたい。
いや、お酒のツマミを加えて、私の場合は一汁二菜としよう。
(東日本大震災から12年になった2023年3月11日)
追伸:我が家で、私が家にいて、ワイフが夜の食事を作れない日が毎月1日あります。来月の中旬から毎月1回くらいのペースになるでしょう。
今日の一汁一菜