第1回「のと復興音楽ツアー」の能登町での開催を2月9日(日)に控えて2月5日(水)頃から能登半島は強烈な寒波の影響で降雪が始まった。雪は大きな山を迎え、2月8日(土)の能登空港行きが飛ぶかはギリギリまでわからない。羽田空港で能登行き1便の天候調査中の待機をしていると、小松空港閉鎖が発表になる。私は能登行き1、2便、富山便の予約も入れながら、いざというときのために東京駅経由の新幹線で金沢経由の列車を七尾駅まで買い、レンタカーの予約もしていた(実際は新幹線が大幅に遅れることになる)。

8時20分に引き返すこともあるという条件付きで奇跡的に能登便が出発し、50分後には大雪の能登空港に無事着陸した。能登町行き乗合タクシーに乗ってすぐに、能登行き第2便の欠航のメールが届いた。第2便で来られる(株)内田洋行の大久保社長と連絡を取りながら、大雪の中で会場の能登町能都中学校に向かう。第1便がよく飛んでくれたものだと信じられないような ‘ツキ’ を感じながらも、改めて一番厳しいこの時に開催する覚悟を新たにした。
今回は2月9日(日)能登町、11日(火祝)七尾市、と冬に2回連続し、春には3月の珠洲市、5月に輪島市が決まっている。
夏と秋に震度6強の地震にみまわれた穴水町と志賀町を追加実施して、最後は壊滅的な被害を受けた総持寺祖院がある輪島市門前町町での開催を目標にしていて、今回中日平日の2月11日に総持寺祖院の訪問も計画していた。
1年かけて能登半島の四季とともにそれぞれの地の豊かな文化と人との交流を考えている。
その意味で厳しい冬に選んだ能登町のプログラムは中学、高校生、卒業した大人達が地震の後にも力強く残った能都中学の体育館で演奏するという、学校の若いエネルギーが感じるスタートを期待していた。

能都中学校は木とコンクリートを使った比較的新しい校舎で、体育館は一時避難所となった。会場に到着すると、現地の窓口である音楽の先生、濱坂先生がてきぱきと準備している。大きな石油ストーブが何基もうなっている体育館の暖房チェックやシーツ張りなどに忙しい。「ウインド・オーケストラのと」の皆さんが最後の練習に入り、やがて「天地人」と共演の練習へと進む。皆、緊張感にあふれていて、演奏の成功に向けて頑張っている。
私は主催者の挨拶を考えようと体育館を歩いていると、壁に掲げられている校歌が目に入ってきた。昨年9月の現地視察の時にもこれを見て、いい校歌だなと思い写真を撮っていた。

そうだ、能登半島地震の避難所として使われた多くの学校の体育館の壁には校歌があった。つまり音楽が共にあったのだ。
音楽の力を表現するのにこれはぴったりだと思った。
皆様こんにちは。本日は沢山の皆様のご来場ありがとうございます。
地元の音楽愛好家の皆さまと「天地人」がコラボする「のと復興音楽ツアー」‘のと・おん’ の第1回目を、ここ能登町から始めることができました。
引き続き、七尾市、珠洲市、輪島市で行っていく、今日はそのスタートです。
本日は石川県、能登町、能登町教育委員会様の後援、株式会社内田洋行様の協賛をいただき開催の運びとなり、厚く御礼申し上げます。
地元の吹奏楽団「ウインド・オーケストラのと」は、中学生、高校生そしてOBの大人の皆様が一緒に演奏されるという大変ユニークな楽団で、本日の演奏が楽しみです。
「天地人」は東日本大震災以降、ずっと被災地を回ってきました。
私はその活動から、音楽には失われた命や貴重な時間から心を切り替える力があると信じています。
最後に、能都中学の職員、関係者の皆様、雪の中の準備、大変ありがとうございました。昨年の9月に打ち合わせのためにこの体育館を見せていただいた際に、ここに掲げてある校歌を見て思ったのは、学校の体育館は災害時に避難所としての機能がありますが、そこには校歌という音楽が共にある、ということでした。
私は個人的には能都中学校の校歌の3番の詩が好きですので、それを披露してご挨拶といたします。
はつらつと 英気は溢れ
日本海 汐満つところ
新たなる 文化を築き
郷土の 明日を担う
おお伝統の われらが母校
能都中学に 栄えあり
ありがとうございました。
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