熱中小学校はとても小さい活動だが、デザインが持つ英知を集め、熱量を貯めていく力を持続するために、デザインの一貫した発想が重要だと思っている。熱中小学校を支えてきたのは、ブランドの管理とデザインの力が大きい。元富山大学芸術文化学部名誉教授の前田一樹さんにはオフィスコロボックルと熱中小学校のロゴをお願いしていた。残念ながら急逝され、一緒に仕事をされていた田中裕子さんに後継を託された。
田中裕子さんは武蔵野美術大学卒業のグラフィックデザイナー。 ‘のと・おん’ ブランドやロゴ、ポスター、チラシなどの企画とデザインはすべてお願いしている。
「能登復興支援担当」、つまり現場担当の開さんは以前は高岡市文化会館館長というキャリアの持ち主で、演奏者の立場に立った会話ができ、能登町のオーケストラ団体 ‘ウインド・オーケストラのと’ の事務を一手に仕切る能都中学校の関係者との情報交換が進んできた。

その方は学校の事務、オーケストラ団体の幹事、そして今回の我々のプロジェクトと一人で背負ってくれて、震災の中で申し訳ないような激務の方だった。私も練習風景を見学に行き、中学、高校、その卒業生の社会人が震災の環境の中で一緒にしかも朗らかに練習している風景を見て音楽の世代を繋ぐ力に感動し、演奏場所も能都中学校の体育館に決定した。
(株)内田洋行の協賛は、若い人たちを勇気づけ、育てることにフォーカスしていた。
熱中小学校が大人の地方創成プログラムだとすると、能登半島プロジェクトは若い方々にフォーカスしたものでこの中学校での開催も理解していただけた。能登半島で音楽による支援はこれからも沢山あると思うが、地元の音楽愛好家が中心になり「天地人」と共演し、世代を超えていい音を一緒に創るという考えに共感してくれたのだ。
こうして協賛会社にも理解いただき、石川県、能登町と教育委員会の後援もいただき、ロゴもチラシも完成し、プレスリリースも終わり11月8日の第1回能登町での開催に向かっていた9月21日、能登半島は豪雨による水害に襲われてしまった。地元には絶望感が広がったと思う。そして2週間後、現地から延期の希望が告げられた。
「天地人」事務所の名和社長に相談したところ、日程は抑えてあるのだから、この際渋谷でKICK OFF演奏会をしませんか? というビックリするような提案をいただいたのだ。
「せっかく盛り上がった機運を冷めさせない」。さすがは名プロデューサー、その言葉に従い、アレンジメントもお任せして、10月18日、 ‘美竹の丘・しぶや多目的ホール’ で実施された。(株)内田洋行の大久保社長も駆けつけてくれて KICK OFFが無事終了できた。
(当日の模様は以下からご覧ください)
さて、能登町をどう再開できるか?「天地人」の来年度日程から2月8日〜11日を押さえていただき、開担当の粘り強い会話が始まった。
KICK OFF映像をお送りし我々の本気度を感じていただき、‘ウインド・オーケストラのと’ の理事会を経て2月9日(日)の開催決定の知らせが届いたときは嬉しかった。
一番寒い時期に雪は大丈夫か? と迷いながらも、いや厳しい時期だからこそ初めの第一歩を示したいという考えがお互い通じ合ったのだと思う。水害は最悪の事態だったが、延期は我々に全体的なツアーの計画をもう一度考える時間を与えてくれた。だからこそその間に、珠洲市、輪島市も具体化することができたのだ。
珠洲市は3月に恒例の ‘スプリングコンサート’ への参加という形で検討が始まり、地震の影響が少なかった‘ラポルトすず’ というコンサートの大ホールが会場となった。

珠洲市音楽協会は過去45回にわたって ‘スプリングコンサート’ を開催してきた。所属する子供たち、中学生、高校生から大人まで、コーラスや吹奏楽等バラエティに富んだ10団体が参加して「天地人と共演する。
案内チラシには、
「昨年発生した能登半島地震、奥能登豪雨の2度にわたる大規模災害、復旧作業の中、心の癒しを求めて集まりおしゃべりしながら練習してきた成果をご披露いたします。今年は、能登を巡り復興を祈る音楽ツアーを行うドラム&津軽三味線のユニット「天地人」をゲストにお迎えし、第3回のと復活音楽ツアーとの共催となりました。
ご来場の皆様とともに元気と熱意を感じあえるステージを繰り広げます。お誘いあわせてお気軽にご来場ください!」
とあり、このチラシは珠洲市の6千世帯に個別配布されることになっている。
1. 地元が主体になって 2.子供から大人までの地元音楽愛好家が参加し
2. その土地で特徴ある音楽グループによる多様性を特徴とし
音楽の力で「創造的復興」を考えるという ‘のと・おん’ のビジョンが見えてきたのだ。
(次回へ続く)
