第8章 駅伝と日本人―タスキを渡す

 昨晩、今年初めてのフグ鍋を囲んで久しぶりにお会いした方から、駅伝というスポーツは日本独特なスポーツだという話を聞いた。日本の学校スポーツはマラソンよりも駅伝に偏っていて、オリンピックでマラソンが強くなる上での障害となっているという説もあるらしい。正月二日、三日の箱根駅伝の視聴率が高いのも、チームで必死にタスキを繋いでゆく駅団のドラマを日本人が好きだからだろう。

 2月8日に始まった雪の能登町訪問は、雪のおかげで偶然のタスキがつながっていくドラマの連続だった。
 大雪にもかかわらず能登便が奇跡的に到着できたまでは良かったが、停電の影響で予定していた民宿に泊まれなくなった。大間ジローさん達の方の宿は空きがあったものの今から夕食は出せないというので、仕方なく、開さん、荒井さんの3人で食事できる場所を探しに車で雪の町に繰り出した。
 会場となる能都中学をすぐ出たところに餃子屋さんがあった。なんと明日の能登復興音楽ツアーの開催ポスターが貼ってある。嬉しくなったが目当ての食堂があったのでいったん通過した。ところが目当ての食堂は雪かきで忙しいようで開いていなかったので、結局この餃子屋さんに戻ってきた。

 テーブルが一つに小あがりが一つのこの小さな店は、若いご夫婦が経営していて、お母さんと3人のお子さんがちょうど餃子やラーメンを食べているところだった。明日のコンサートに是非いらしてください、と誘って話をしているうちに、彼らが東京近郊から移住した一家であることがわかった。ご夫婦でこの地でボランティアをやっているうちに結局移住して、ネットで全国の仕事をしているそうなのだ。明日は一家6人で行きます、と言ってくれた。
 次に店に入ってきた2人のお嬢さんを連れた女性にも声がけしたところ、来てくれることになった。こちらは能登町の酒蔵、数馬酒造の女将さんとお子さんだとわかった。元港区のOLが石川県能登半島の伝統ある酒蔵に嫁いだというのはネットにも載っている有名な話らしい。

能登半島地震で被災した元港区OLの酒蔵女将が復興の中で学んだ「働くこと」の意味【数馬酒造 数馬しほりさん】 - Woman type[ウーマンタイプ] | 女の転職type
六本木の大手企業で働いた20代をへて、故郷の能登にUターンした数馬しほりさん。現在は、数馬酒造の若女将として働いている。そんな彼女を襲ったのが、能登半島地震。被災後、約1年の復興活動を通じて彼女が感じた、「能登を醸し、能登の酒を造る」という“生業”の意味とはーー。

 興味がわき、明日の午前中、酒蔵見学できないでしょうか? と聞いてみたところ、日曜は休みですがどうぞ、と快諾してくれた。餃子を食べ終わり、宿に帰った。翌朝、同行している映画監督さんと数馬酒造に向かい、寒い休日の酒蔵であれよあれよと見ていたら、女将さんの映像を震災復興苦労話と共に撮り終えてしまった。

 タスキはまだ続く。約束どおり、午後からの演奏会に2家族の方々がいらした。するとそのうちに数馬さんのご長男が音楽に合わせて前に出てきて踊り出した。これをきっかけに、来賓の浅野副知事の親子や来賓の校長先生なども前に出てきて、「天地人」のビートに合わせて大勢の観客が体を動かした。そうして大盛況のうちに終わった演奏会の模様がTVのニュースで流れた。ご長男の元気なダンス姿と、すごく楽しかった、と語るインタビューがついていた。

 もしも、雪が激しく降ってなかったら、民宿が停電にならなかったら、餃子屋にポスターが張ってなかったら、翌朝女将さんに用事があったら。このタスキが中断するのは簡単だった。
 そして、最初に飛び出して踊りTVにも映ったことを、息子さんはこれから先ずっと覚えていることだろう。女将さんにとっても、のと復興音楽ツアーは特別な出来事となっただろう。

 人は良く、あの人は人材のネットワークをもっているから、とか紹介してほしいとか言いがちだ。
 でも本当は、駅伝のように、人は必死に走りながら、一緒に走ってくれる次の人にタスキを渡そうと頑張るのだ。人材がいるわけでない。次に走ってくれよと託すのだ。
 タスキを渡されたら、仲間が繰り上げスタートにならないように頑張るのだ。

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