七尾市の一本杉商店街は昔日本のどこにもあったような、でも時代とともに洗練された街並を残しながら ‘花嫁のれん’ の伝統と共に生きてきた。商店街は花嫁のれんの地として有名で、商店街のはずれには「花嫁のれん館」がある。この商店街には開さんの知己が多い。特に鳥居醤油店の鳥居正子さんとのご縁は特別だった。高岡から能登半島に車で行くと、まずは七尾で降りて一本杉商店街に立ち寄って鳥居醤油店の復興状態を見て、向かいの喫茶店で仕事や面会を重ねるうちに、被害から立ち上がろうとしている商店街の不思議な ‘人の力’ に魅了されていった。
和倉温泉もある七尾市は甚大な被害を受けているのだが、まだ能登半島の北部には被害のあった町があって、七尾ではいつ開催するべきか、実は迷っていた。七尾は心の距離感が近くてかえって言い出せないような感じだった。

鳥居さんから、小室等さんの「花嫁のれん」の歌をマルシェの日にご本人を呼んで歌ってもらえないか? 自分たちはとても勇気がもらえる、と言われて瑞龍寺の演奏会でカンパした募金を使い7月7日(日)に小室さん親子による‘花嫁のれん’の歌の回を開催することができた。
震災で歯が欠けたように傾いた商店街でお会いしたかったのは「一本杉川嶋」の川嶋亨さんだった。 「食の熱中小学校」は能登支援活動として毎期お一人能登半島から講師を招聘し、懇親会も能登の食材を使った料理を山田玲子さんにお願いしている。川嶋さんは柏原光太郎さん経由で「食の熱中小学校」第3期4回目の1月に授業をお願いしていてご挨拶したいのだが、まずは炊き出し、続いて潰れたご自身の料亭の向かいに仮店舗を作る、各地での復興の料理イベント等で超多忙、かつ出張も多くてなかなかいらっしゃらなかった。
仮店舗でお会いすることができた川嶋亨さんと奥様は、新しい事態にも一緒に挑戦するという気概に満ちていた。要領よく打ち合わせが終わり、‘のと復興音楽ツアー’ の話をすると、太鼓でよければ紹介します、と言われてすぐに電話をかけられ、七尾市は一本杉商店街で2月11日(火祝)に開催することがその場で決定したのだ。電話を受けていただいた山崎さんには七尾の7つの太鼓チームから代表を集めたコラボチームを結成いただき、子供さんから大人までが参加する ‘七尾太鼓スペシャルコラボチーム’ と名付けてまとめてくれた。
震災を経て地元には信頼と責任感のある人達のネットワークができており、川嶋さんというハブにご縁をいただいた結果だった。

この商店街では面白い出会いがあった。埼玉県の高校同期の友人達3人とその友人のウクライナの女性の全員20代の4人がWeb開発や古民家宿泊の会社を2年前に起業し、私が仕事場にしている喫茶店の向かいにオフィスを設けていた。震災の1年前にここに来たという。その理由は「何となく良さそうだから」、でも居続けるのは「能登の人達は優しいから」という話だった。ひどい災害の中でも外から来た人に優しいというのはすごい。それだけ若い人への期待が大きいのだ。
この会社ノラスの代表・岡田渉さんには ‘のと復興音楽ツアー’ のWebコンテンツ開発とSNSを担当していただけることになって、私としては能登半島に拠点ができた思いだ。

ともあれ七尾市の開催が決まり、当初の計画であった4自治体が揃い、全体のポスターやプレスレリース、後援の石川県と各自治体、協賛の(株)内田洋行に音楽ツアー全体をお見せできるようになった。各地から ‘ 皆で練習してます!’ という声が入ってきて身が引き締まる思いだ。「天地人」さん、いよいよ本番です。
(のと復興音楽ツアー誕生話 ― 終わり)
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