わが師匠にして奥会津のマタギである猪俣昭夫さん。
体力あり余ると思っていたその「師匠」が2年前、雪の中での鹿狩の後、脳梗塞で倒れた。懸命のリハビリをされて、1年半後に念願の思いで自宅に帰られた。
やはり自宅でのご家族の愛情あるサポートは素晴らしい効果があって、数か月後の2025年12月21日、福島民友新聞社が主催するセミナーの講師ができるまでに回復された。
知られざる狩人(ハンター)の世界で、スペシャルトーク「マタギの精神―狩猟の魅力と自然との共生」では熊猟のビデオを交えて、民家の近くまで出現する時代に人間と動物の共生の課題、ハンターの心得について話された。
左半身が不自由のため車椅子での講演だったが、クリアな話し方でユーモアもあるトークだった。控室には奥様、3人のお子さん、5人のお孫さんが集まり、猪俣さんの復帰を祝った会での奥様の笑顔がとても印象的な日だった。
木の花に実を豊かにするのは日本ミツバチの仕事、その実を食べて遠くまで運び、森の木々の多様性を豊かにするのが熊の仕事、という話で、猪俣さんの熊に対する尊敬の念が感じられる。だがその熊が少子化、高齢化の影響で耕作破棄地が増え山から里にテリトリーを広げ、特に福島県では放射能汚染の影響でイノシシやシカ、熊肉の流通ができず獣が増殖してしまった。これらの原因は人間が起こしたことで、その結果、彼らを駆除しなければいけない事態には、猪俣さんも悩んできたところだ。
2019年12月に米国シアトル熱中小学校で授業をやっていただいた時、授業の中で「森の木々は毎年その生育、花や実の付け方が違うために、どうしても動物の餌のバランスが変わり、頭数が違ってくる。その獣や動物たちのバランスを保つために、マタギは狩をしてそれで自分達の命もつながせていただいている。マタギは森の調整役だ」と話していた。
人の集落にたびたび出現するような獣による人的被害を減らすためにハンターになる人を増やしながらも、命をいただくという敬虔な気持ちを持ってほしい、と猪俣さんは訴えているのだ。
翌日から会津は大雪になった。猪俣さんが狩りをする福島県金山町は3メートルの積雪は珍しくない。11月から2月半ばまでの熊猟解禁の、ちょうど雪が始まった時期に倒れた。
少し前になるが、猪俣さんと一緒に「奥会津日本みつばちセミナー」を主宰していた頃、宮沢賢治の「なめとこ山の熊」の話になった。少し酔っていた猪俣さんが、この話のように「自分の最後は熊に殺されて、でも山のたくさんの熊たちが自分の葬式をやってくれる」のだと話したことがある。本では猟師の小太郎が大きな熊を撃ち倒そうとすると、その熊が、自分にはあと2年どうしてもやらなければならないことがあるから見逃してほしいと頼むので小太郎が見逃してやると、ちょうど2年後に熊が家の前に倒れていたという話がある。熊を撃ちながら、熊も小太郎のことを自分たちの理解者として尊重しているという世界だ。
猪俣さんが、今後は熊と山の中で対峙できない状況になって2年になる。
そうだ。熊との葬式は終わり、新しいマタギのページが開かれようとしているのだ。