第30章 もういちど7歳の目でビジネスをー中村寛治さんの新しい船出
中村寛治さんは福岡県北九州市出身。日本サン・マイクロシステムズの営業、日本オラクルに移籍、西部支社長を経て 2004年6月に「人中心」という企業理念を社名した(株)ヒューマンセントリックスを創業。企業向け「動画プレゼンテーション」というこれまでになかったサービスを開始して17年増収増員。熱中小学校では「これが動画力です!」を座右の銘に授業を行う。(熱中小学校 ‘放送室担当’ プロフィールより抜粋)
中村さんは東日本大震災直後、私が東京・赤坂で ‘オフィス・コロボックル’ 開設時の動画制作から、手弁当でお世話になった。熱中小学校では ‘放送室担当’ として山形県高畠町で開校以来、全国を回り、学校紹介ビデオ制作のみならず学校開校に向けた生徒獲得のためのオープンスクールでは、いつの間にか原田英男さんと私の3人セットで「今日の授業で、生徒になってもらう!」という営業魂をもって、熱中小学校の魅力について共に語ってきた ‘戦友’ だ。いつの間にか、‘ブー・フー・ウー’ と呼ばれる関係になった。
中村さんの授業で全国の熱中小学校の動画力のレベルがアップするばかりでなく、大山正也さんなど映像ビジネスの起業家も生んできた。
会社の生き残りと成長のために、いくつも斬新な試みを行ってきた中村さんは競争に勝つためには完璧主義でとても厳しい人なのだが、いつも明るい笑顔を忘れない、トップ営業マンでもある。
意思決定者との会話の中で新しい展開を発見して、相手が自分の達成感として共感してしまう。そうして先進事例が生まれ、新規事業分野が発展する。
お客様を味方にして、営業支援をいただけるために常に知的メンテナンスも欠かさない人だ。
‘真面目すぎて’ 他の会社では要領をつかめなかった人材も一緒に仕事をしながら、自身の良さを会社の成長とともに確認してきたという、人を育てる自負もある。
ビデオ収録のために約束の時間10分前に本社に到着すると、予約済みのスタジオで若い社員の皆様が撮影のセットアップ準備中のスタジオに通された。中村社長が入ってくるや、私と簡単な下打ち合わせをしているところにも近づいて撮影してくる。これは、‘社長レビュー付きのプロの撮影編集’ をやるつもりに違いない。これまで自分のスマホを固定して撮影し、編集無しの連載ビデオシリーズが突然プロの部屋に迷い込んでしまったような感覚を味わいながらも、若い社員が中村社長の撮影を嬉しそうにやっている姿はいいものだった。
中村さんは外資系企業に勤務して、外資系の良さも悪さもを反面教師として独立創業。自分の流儀で進めてきた(株)ヒューマンセントリックスを昨年、芙蓉総合リース(株)の100%子会社として再出発を計る大きな決断を下したばかり。映像の世界での ‘下請け’ の慣習に染まらずにさらに人間中心経営の大海への船出はいかに?
その顛末はビデオでご覧ください。: