第20章 食で地方と都会を結ぶ外交官 山田玲子さんの熱中料理人生
料理には、和食の世界では料理人、西洋料理ではシェフが凝った料理を競うのだが、山田玲子さんはどちらかというと家庭料理の世界の研究家といえるだろう。我々の世代の男性が厨房で、まず包丁の扱いから学ぶような感覚の著書が「定年ごはん」(大和書房)。
海外の読者も意識した、おにぎりの世界を描いてベストセラーになった「おにぎりレシピ101」(ポット出版)、和書の世界の「和ごはん101」(ポット出版)などがある。 伝統的な日本の食卓で、お米、醤油、味噌の登場場面も多い。
その玲子さんが危機感を持っているのが、若者が家で料理せず、コンビニや冷凍レトルト食品が当たり前と考えていることだ。
コンビニのおにぎりには、‘誰かが、誰かのために愛情をこめてにぎった’ というストーリーがない。どんな具材のおにぎりであっても良い、おむすびは、人と人との ‘お結び’ であることで、日本のソウルフードなのだ、という。
玲子さんには熱中小学校開校以来、家庭科の先生をお願いしている。
熱中小学校の授業では、事前にそれぞれの土地の食材を使ったおにぎり作りの準備を打ち合わせて臨んでいる。生徒さんも参加型の授業は、‘おいしい’ ので何度も同じ地区からお呼びがかかる。
山田さんが東京でケータリングする際に、紀州の梅や、会津のとろろ昆布など各地の具材が使われている。料理教室の生徒さんや友人を食のツアーで地方に連れてゆく。
食の関係人口作りは山田さん独特の世界になった。
玲子さん自身がやがて、熱中小学校と仲間がいる地域との2拠点生活になって行って、熱中小学校が目指した交流を自ら実践した先生になっているのではないだろうか。
「老いてからでは遅すぎる」の日本アイ・ビー・エム時代の話で書いていない話の一つに、我が家での部下とのパーティーがある。
全国の中堅中小企業の営業を担当した時にはざっと500人の営業とシステムエンジニアがいた。少し元気のない組織の景気づけに、北海道から沖縄まで全員を我が家に呼んでパーティをしようと思い立った。今思えばずいぶん乱暴な経費の使い方だった。。
週末を2日に分けて、一日250人を1回3シフトでBBQを決行したのだ。
お酒が入ると、地区のグループで、歌があり、芝居があり、延々となって、シフトは名ばかりでついには狭い芝生や家の中で200人が騒ぐという事になってしまったのもいい思い出だ。玲子さんにはこのケータリングを仕切っていただいた。
昨年も和歌山県すさみ町の実証実験で ‘ウェルネスツーリズム’ の開発では、首都圏からのべ40人のビジネス界の人たちのケータリングを3食、体に良い食事を現地で料理していただいた。
30年間私にとっては ‘困ったときの山田玲子さん’ 、どんな場合でも慌てずに場を仕切って何とかしてくれる。私の大切な‘戦友だ。
山田玲子さんのインタビュービデオはこちら: