第71章 田中裕子さんが継承する「デザインに感性はいらない」

 田中裕子さんは武蔵野美術大学卒業のグラフィックデザイナー。京都府宇治市在住で越前和紙の情報誌デザインなどを担当し、伝統工芸をどのように発信しデザインしていくかに関わる。そのご縁で今はお亡くなりになった元富山大学芸術文化学部名誉教授の前田一樹さんと出会い、前田先生からの依頼で熱中小学校のデザインをご一緒に担当することになった。

 前田一樹さんは、私の日本アイ・ビー・エム時代の同僚である竹村譲さんから紹介され、東京・赤坂に構築していた ‘オフィス・コロボックル’ のロゴデザイン制作をやっていただいた。プラマークや、甲子園の優勝メダルなどを手掛けた大御所だ。さらに運が良いことに熱中小学校のロゴまで制作いただいた。

 熱中小学校のロゴマークは、色と形が違う9つの図形を組み合わせて、‘遊び’ を表すコマと ‘学び’ を表すセロテープを組み合わせて表現している。「もういちど7歳の目で世界を。。」というテーマに図形を組み合わせながらも小学校の教科は9科目、という9つの異なったパーツを材料にして、自由で多様性のある生徒の集まりを表現されたのだ。

 その前田先生の、「デザインは感性ではない、論理的に考え抜かれた世界」という教えを田中裕子さんは継承していて、熱中小学校のデザイン担当として新しい学校のロゴやバナー、チラシのデザインをお願いして作成いただいている。

 振り返れば、IBM社は、ポール・ランドに自社のロゴデザインを任せた。その青い線の企業ロゴは今も変わらず70年近く使われている。梱包材などのデザインも任された彼は、さらにそのロゴを進化させた。「目・蜂・M(アイ・ビー・エム)」の斬新なデザインは素晴らしく、大いにIBMパソコンのビジネスに利用した。

 熱中小学校はとても小さい活動だが、デザインが持つ英知を集め、熱量を貯めていく力を持続するために、一人のデザイナーの一貫した発想が重要だと思っている。

 高岡熱中寺子屋から始まったバナー製作は、バナーの中央に置かれる各地のシンボルマークのデザインを論理的に詰める田中さんの考えと地方の担当者の思いとの調整の連続だ。田中さんは各地のそうしたユニークな思いにも寄り添い、やがてデザインが決まってゆく。

 バナーのデザインを見ると、学校開設当時や継続の苦労の思いと重なってくる。立ち上げの時の熱量を改めて思い起こされ、初心に帰る思いだ。特に、災害に遭った宮城県丸森町や熊本県人吉・球磨地区の熱中小学校のデザイン作業には感極まるストーリーがある。シアトル熱中小学校のバナーの3つの飛行機(ビデオでは私が2つと間違えているので訂正します)の図柄は、病気療養中の前田先生が病室で決めていただき、結果として先生の遺作となった。こうして、学校それぞれのストーリーがある。またいくつかの学校はすでに休校や廃校になり、ロゴやバナーはその役割を終えている。

 開校の際の記者会見にはロゴが、オープンスクールにはバナーが必要だ。それらを準備し、不安ながらも期待を込めた時期というのは実は大変重要で、校長先生や教頭先生がロゴやバナーの決定にまで参加いただいた学校は継続性が高いような気もする。

 今年「食の熱中小学校」は、これまでの熱中小学校のロゴから離れたデザインでスタートした。 田中裕子さん自身この学校の本質を見極めようと、座学、体験ツアーにも自ら積極的に参加いただいている。

和歌山県すさみ町「食の熱中小学校」体験ツアー。レタス畑を訪ねて(右端が田中裕子さん)

 東京で毎月末水曜日の夜に開催している「食の熱中小学校」は、生徒さん達の知的好奇心は旺盛で、柏原光太郎校長も「体験ツアーに参加してこその学校」と言い、ご自身も地方のツアーに参加されている。生徒さんもツアーに参加するごとに熱量が上がってきているようだ。

 そう、田中さんによる新しいロゴと共に、この企画、すなわち「食の熱中小学校」のデザインの実験は始まったばかりだ。

田中裕子さんのインタビュービデオはこちら

食の熱中小学校はこちら:

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