第62章 黒笹慈幾さんと、 ‘高知に暮らすような旅’ で出会った魅力ある熱中人たち
「食の熱中小学校」仁淀川の鮎釣りアウトドア体験ツアー参加のために高知龍馬空港に降り立つと、「こうち仁淀ブルー熱中塾」 教頭の黒笹慈幾さん、同事務局長の松田健さん、お仲間の東山建設(株)社長・豊後彰彦さんのお出迎え(プラス全日空の高知支店長さん、高知空港ビルの役員さんまで加わられ貴賓室にご案内!のサプライズ)、私を含めた3人の参加者と計6人の2泊3日の旅が始まった。
まず向かったのは、‘アンテナスイカ’ の生産者、江本さんご夫妻の農園だ。
地元の農協を通さず、直販でスイカ、メロンを栽培し時間をかけて磨いた高付加価値産品だ。スイカは1本に実を1個に限定して、枝をアンテナのように残した ‘アンテナスイカ’ と名付けた。出荷時期も大量にスイカが出回るタイミングを避けるという、独自の戦略で成功してきた。
江本さんご夫妻は、5年前の「越知ぜよ!熱中塾」開校時の生徒さんだった。
入学時に新入生には、学校で学んで何をしたいか?という質問があったのだが、お二人は「スイカの独自ブランド作り」と書いていたから、その目標をはっきりと実行してこられた。
そのスイカを後からお土産に送っていただけるというのはサプライズであった。
最初の訪問地で(特に奥様の熱気あるご説明に)とてもエンジンがかってしまった。
この日の目玉は NHK朝ドラで一躍躍有名になった佐川町だ。まち歩きガイドの市川浩司さんに「らんまん」牧野富太郎博士に出会う旅を案内いただいた。市川さんは地元で長らく牧野博士の功績を記録、保存しながら山に野の花を植え続けてきた方で、時間の許す限り丁寧な説明がどんどん湧き出てくる。NHK朝ドラで牧野博士を取り上げてもらおうと堀見和道前佐川町長時代から4年以上働きかけてきたそうだ。‘高知といえば坂本龍馬’ を少し変えた人達と歩いた牧野公園だった。
今回の宿泊は仁淀川上流にある越知町のスノーピークおち仁淀川キャンプフィールド。川沿いのデッキに並んだ ‘住箱’で、BBQには小田保行越知町長ご夫妻も参加された。
私が釣りでご縁があったこともあって、高知県に熱中小学校を誘致したいという思いで出会ったのが南国生活技術研究所の黒笹慈幾さん。小学館時代に『三丁目の夕日』『釣りバカ日誌』『人間交差点』などコミックのヒット作を生み出し、『釣りバカ日誌』の主人公ハマちゃんのモデルといわれた人で、2012年に高知へ移住した。協力いただける自治体を当時の日本銀行高知支店長の河合裕子さん(2023年4月から高知銀行副頭取)らと探していただき、越知町の小田保行町長の決断で仁淀川流域での開催となった。
越知町にこのキャンプ場を誘致したのも黒笹慈幾さんが人のネットワークで時間をかけて釣ってしまったらしい。
スノーピークの山井社長、当時の尾崎正直県知事が来られたオープニングのBBQで、黒笹さん、松田さん、小田町長と、‘熱中小学校やるっきゃないぜよ’ で最初は「越知ぜよ!熱中塾」で始まり、それが仁淀川周辺広域の学校として継承されて「こうち仁淀ブルー熱中塾」となっている。
静寂のキャンプフィールドで遅くまでの飲み、語り、そして翌朝早く一人一人に与えられた「住箱」からデッキに出てみると、仁淀川を囲む山々に霧が流れ、日の出とともに美しい色の変化を味わうことができたのは素晴らしい体験だった。
2日目は越知町の新しい名産品、山椒の栽培を見学した後、午後はお目当ての ‘鮎の友釣り体験’ へとさらに上流の仁淀川町に向かった。指導をいただく鮎屋仁淀川の西脇ご夫妻は、鮎に魅せられて関西から移住したという。鮎の友釣りとは、鮎が縄張りに入ってくる鮎を脅してかかってくるという習性を利用し、生きている鮎を囮として泳がせて、その体に付けた針に新しい野鮎が引っかかるところを釣り上げるという珍しい釣りの方法だ。ハマると数十万円もする竿を揃える釣り人もいるという。
西脇ご夫妻は、3人のお客さんの中の素人の私がなんとか釣れるようにと付きっきりで指導してくださるのだが、これがなかなか難しい。
西脇ご夫妻に獲物を加えていただき、釣りたての鮎塩焼きの素直な味を「料理民宿いち川」で堪能した。なんと西脇さんも熱中塾の初代生徒さんで、目標設定では「鮎の友釣り体験事業」をやりたい、ということだったという。2人で釣った鮎の販売だけでなく、教えることで収入を補助しているのだ。黒笹慈幾さん達の目標設定と人材刺激活動は生徒を辞めた後でもしっかり継続されていることに胸が打たれた。
翌日は化学肥料を使わない梨園での梨もぎと試食の会があり、鮎も、梨も、お土産が後から届くのも美味しい旅だった。
10年以上前に移住した黒笹慈幾さんにとって、この旅に登場した人たちは皆、高知で頑張る個人事業主さんで、戦友のような方々だ。
釣りバカ日誌の主人公にして出版企画の才能がある黒笹さんは、釣りの知識と地元の情報を駆使して活躍の場を広げていて、黒笹さんを頼る自治体は多い。
この旅は、そうした黒笹さん周辺にいる高知人の生活の香りに充ちていた。従来の体験型観光を超えて、高知の仁淀川周辺で生活する方々の ‘人を知り、そこに暮らすように旅をする‘ 経験があった。
これからの旅とは、そうした地方の自立を継続しようと奮闘している人々と会話する旅。
私のように故郷のない人にとって、もう一度山河を観に、ではなく、訪ねたい人がいる地こそが故郷になるのではないだろうか。
黒笹慈幾さんのインタビュービデオはこちら: