第57章 瀬崎公介さんの「海とともに 川とともに 人とともに」
株式会社シークルーズ代表取締役の瀬崎公介さんとのご縁をいただけたのは奇跡の掛け算だ。
もし瀬崎公介さんが、成功しつつある天草にエネルギーを集中されて人吉市球磨川の川下り会社の経営に乗り出さなければ、そして2020年の熊本災害を跳ね返すように「ひとよしくま熱中小学校」が開校しなければ、そして学校を運営する「一般社団法人ドットリバー」代表理事の富山孝治さんが瀬崎公介さんを副校長にお願いしなければ、この不死身の挑戦者の存在を知らずに終わっていた。
すでに東京都心でも人手不足によるサービス停止が起き始めているが、地方はなおのことこれまでのようにお店、旅館などが点と線でバラバラに経営していれば敗北は時間の問題だ。それを瀬崎公介さんは天草の地で七転八倒、「正しいリサーチに基づいたビジョンと信念があれば、いつか地域は地域として成長できる」と、10年かかって交通(船)、観光、公共施設の管理運営などで「面としての地域」をつないで天草の魅力を変え、コロナ禍で中断しながらも九州観光の流れを変えてきた。
瀬崎公介さんは天草での実績を評価され経営難に陥った熊本県人吉市の第3セクター「球磨川くだり株式会社」の経営再建を依頼される。2019年1月に約34%の出資を行い、代表取締役に就任。人吉球磨地域の観光のシンボルである球磨川くだりを守るべく経営再建に向け邁進していた。しかし2020年7月、熊本豪雨に襲われた。絶望的な窮地に追い込まれるも、再建チームを立ち上げ、被災から僅か1年の2021年7月4日に観光複合施設「HASSENBA」を開業。沈む被災地の復興のシンボルとなった。
以下はその苦労の記録だ。(瀬崎公介さんのnote https://note.com/irukaoyaji/n/n65315482a3d8 より引用)
豪雨による氾濫により球磨川の地形は大きく変わった。大量の土砂・岩・瓦礫などが流入し水深も大幅に浅くなり、事実上航行不可能な状況になり長期間の運休を余儀なくされた。是が非でも再開を目指さなければならない。この2年半ここまで苦労しなければならないのかと思うような試練が繰り返し訪れている。 1回目のチャレンジ:2021年7月 国土交通省が中心となって2021年4月に筏口の瀬付近の土砂を撤去して頂いた。その後、現場を確認し船頭たちも再開できる可能性が出てきたと喜んだのを覚えている。観光複合施設HASSENBAの開業が7月4日に決定し、それに合わせて川下りを再開する青写真ができた。しかし、5月下旬に予想もしない大雨が再び被災後を襲った。 2回目のチャレンジ:2022年5月 2022年5月に中河原の掘削工事の一環で再び航路の掘削工事を行なって頂くこととなった。その結果、ついに被災から2年ぶりの2022年7月22日に球磨川くだりは運航再開を果たすこととなった。2年ぶりの運航再開は人吉にとって明るいニュースとなった。しかし、またしても試練が訪れることとなった。 2022年9月18日(日)の3連休の中日に台風14号は九州を直撃した。その影響で人吉球磨地方は大雨となりまたしても氾濫寸前まで増水。無惨にも2020年の豪雨災害後よりもさらに大量の土砂が筏口の瀬を埋め尽くしていた。運航再開まで2年の月日がかかったのにわずか2ヶ月で再びの運休。神様は何故こんなに試練を与えるのだろうかと心が折れそうになった。 3回目のチャレンジ:2023年2月 川下り再開を願う声が多く寄せられることは本当にありがたい。しかし、このような度重なって訪れる厳しい現実を多くの方は知らない。本当に川下り事業はもう無理なのではないか。何度もそのような考えが頭の中を巡るがどうしても諦めきれない自分がいる。2023年は三たび運航再開を目指し努力をしているところだ。2月に入り3度目の航路確保の浚渫作業がスタートし、順調にいけば今春に再開できる可能性が出て来た。まさに3度目の正直。今回こそは本当の意味で恒常的な運航再開を実現したいと思う。
このnoteを書かれた後、瀬崎さんは2023年5月16日に航路調査の結果、安全に通ることが難しい箇所があることが判明したため、再度の中止の発表をせざるを得ない状況になってしまう。
やった! 再開だ、と思う数か月後にどん底まで落とされること4回。 それでも瀬崎さんは人吉市の援助を求めながら、挑戦を継続する。
ひとよしくま熱中小学校は授業の終わりに、会場の ‘くまりば’ のテラスで参加者の記念撮影がある。一瞬のことだが、この町は球磨川とあり、ということを思い起こさせる時間なのだ。
瀬崎さんのインタビュービデオはこちら: