第46章 銚子商業高校凱旋パレードの ‘熱量’ をもう一度
千葉県銚子市は東京から直線距離で100キロメートル、東京駅から特急で2時間。
全国の熱中小学校としては最も首都圏に近い「ちば銚子熱中小学校」は、授業会場は再生した猿田地区の小学校の廃校。校長先生は甲子園で準優勝した銚子商業高校のエースだった、元ロッテオリオンズの木樽正明さんだ。
廃校になった市立銚子西高校をスポーツ合宿施設にリノベーションした銚子スポーツタウンを経営する小倉和俊社長が、スポーツだけでなく銚子市の将来を考える「大人の知的な社会活動の場」が欲しいということで話を進め、小倉さんには教頭先生に着任いただいた。
食で言えば、銚子港は魚の漁獲量は断トツの一番。キャベツなどの野菜の出荷も多く、首都圏の胃袋を支えている。ヤマサ醤油は350年前の創業で今でも拠点を構え、ヒゲタ醤油とともに日本食のインフラ産業だ。
今回、越川信一市長から、「そうした食材の豊かな銚子で『食の熱中小学校』のツアーのテーマが米なんですね?」と聞かれた。
小倉和俊教頭の話では、熱中小学校の米農家の生徒さんから「お義父さんの頃はお米で家が建てられたのに…。せっかく作ったお米が家畜の飼料になるなんて、切ないです」と訴えられたからだという。副食の大生産地で、あえて主食の ‘米’ を取り上げることになった。
米の消費が年々減り、政府は肥料用米(通常の米には変わりがない)などの減反政策を補助金の形で奨励してきた。食管制度時代からの意識の変更を求め、補助金も順次縮小、後継者難から耕作破棄地も増えるという状況になった。
現在、主食としての米の用途として注目されるのは米粉をパンやケーキ、麺などに加工した新しい食べ方だ。小麦粉もほとんど輸入に頼り供給や価格が不安定な今、これを米粉に代替することは日本の農業を守ることにもつながる。
銚子市にはいろいろな ‘日本で初めて’ がある。明治19年に東京師範学校が「長途遠足」と称し、屋外軍事教練と文化財見学を行うべく東京・銚子間を徒歩で往復したのが修学旅行の始まりといわれている。
「食の熱中小学校」の修学旅行「食の銚子ツアー」は11月24日(金)から26日(日)まで、田植えからお米になるまでの工程と場所を実地検証し、お米のご飯以外の多様な使い方を検証する。米粉に詳しい「食の熱中小学校」の綛谷久美教頭先生も参加する。ツアーでは新鮮な魚や野菜も味わっていただくのはもちろんだ。
その銚子は5年後を目指し、エネルギー変革の最前線に立った。
秋田県能代市、由利本荘市と共に洋上風力の地に選ばれ、これを担う三菱商事(株)はなんと35年ぶりに日本国内の支店を銚子に開設し、支店の方も「ちば銚子熱中小学校」に入学された。
日本でたくさんの ‘初めて’ を輩出した銚子市。食を材料に、生産、加工面でのイノベーションを起こしてもらいたい。
1985年に9万人だった人口が現在5.5万人に減った銚子市。水産、農業食料の供給拠点として今後生き残って行けないことになると首都圏の消費者に重大なインパクトを与える。
私の世代では、銚子商業は高校野球の古豪だったが、ここ20年近く甲子園から離れて久しい。しかしOBの支援などを通じて昨年あたりからジワジワと復活の自力を付けてきているそうだ。
人口減を食い止めるために、越川信一投手と小倉和俊捕手のバッテリーで逆転劇が長丁場で始まった。私も応援団員としてぜひツアーに参加したい。
越川信一市長と小倉和俊教頭先生のインタビュービデオはこちら: