第27章 田子みどりさんが探す、次なる ‘志’(こころざし)
熱中小学校萩明倫館(鈴木寛校長先生、藤原由佳教頭先生)の初代教頭先生の田子みどりさんは、40年前に創業された株式会社コスモピア代表取締役で山口県萩市生まれだ。
父親が公務員、母親が教員という家庭で萩の「明倫小学校」から「県立萩高等学校」までの青春時代を歴史の色が濃い、萩という土地で育まれたものは、人生で最も大切なものは‘志’(こころざし)を持つ生活態度だという。
今から約4年前にご縁あって、萩市を訪れて当時の藤道健二萩市長や松陰神社の上田俊成名誉宮司のお話を伺い、吉田松陰先生を尊敬する萩で、しかも元藩校の「明倫館」で熱中小学校を開校する運びとなった。その後田中文夫市長の下でも、役場の職員さんが事務局作業を継続して行っていただいている。
元藩校の「明倫館」は、明治以降「明倫小学校」となった。驚くことには、今でも明倫小学校(現在は別棟)では毎日が、松陰先生のお言葉を全員で声を出して暗唱することから始まるそうだ。
ちなみに田子さんがお好きな言葉は「志を立てて、もって万事の源となす」だ。
東京での大学生活の中で、1982年科学タレントチーム「ザ・コスモス」を結成。経団連軽井沢フォーラムにてサイエンスショーを企画実施。マスコミ等で女性学生ベンチャーとして注目を集めた。1983年「株式会社コスモピア」を設立、代表取締役に就任された。
萩のように歴史上、熱が入った土地は概して、男性中心社会。女性の独立を良しとする雰囲気はあまりなかったと想像できる。いや、日本全国がそうであった。最近、私よりも少し年上で、国際的な有名日本企業のOBが、「40年前に入った短大卒の女性新入社員は(4年制女子大生の採用はしなかった)、当時補助作業要員だったが、彼女が最近退職するときは常務執行役員だった、日本にダイバーシティは遅れているといえども世の中変わった」と話していた。
今の若者は、当時の女性会社員が、結婚相手予備群として企業に入社してきた、いわゆる ’寿退社‘ など信じられないだろうが、こうした時代に東京で大学時代を謳歌して卒業する田子さんは、開き直って2つの ‘志’ を立てる。
一つは、いわゆる一流企業が採用しないなら、自分たちで会社を創ってモデルになろう。
もう一つは、女性の社会的立場を何とかしたい、自立支援である、
そして、女性の感性を使って「難しい科学技術をわかりやすく伝える」をコンセプトに数多くの事業を展開してきた。どこよりも早く、在宅勤務や柔軟な出勤体制、学びの機会、資格の取得を促すなど、常に ‘働き方改革’ で話題の会社だった。全社的にテレワークの導入をめざし、ペーパーレス化とクラウドシステムの導入、現在ではICT支援を主たる業務に育て上げた。
「なんでも早くトライして、男社会中心の日本の遅れを社会に伝え、改革する」という会社の使命も、まだまだこれからとはいえ日本企業も徐々に ‘働き方改革’ 、ジェンダー施策、と追い付いてきつつあるここへ来て、田子さんは40年育ててきた会社の売却を決心する。
暫くの間、2つの「志」に代わるものを探す旅路にでかけようと、近い将来には完全に会社経営から引く予定だという。
「新しいこと、知らないことを知るのが好きで、責任感と好奇心だけで40年近く続けてこられた」と話す田子さんは、まずは様々な鎧を脱いでみて、しかし吉田松陰先生の語録を諳んじた幼少時代に刷り込まれた ‘志を立てて、もって万事の源となす’ ―新しい ‘志’ を見つける旅の始まりに立たれようとしている。
世界遺産に登録された江戸時代の風情ある町並みが残る「萩」、きものの似合う街大賞 初代全国グランプリに選ばれた「萩」を、着物の華で彩る ‘はぎ着物ジャック2023’ に勝手に協賛したり、熱中小学校萩明倫館は女性パワーやアイデアで継続されてきた。
田子さんのおかげで縮小傾向があった時期にも焦らず、しぶとく盛り上げていただいて、教頭先生の後任ももちろん地元の女性に引き継いでいただき、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
田子みどりさんのインタビュービデオはこちら: