第26章 重松大輔さんは ‘時代の先を走る’ スペースシェアビジネスのフランカー
(株)スペースマーケット社長の重松大輔さんには、あらゆるスペースを時間単位で貸し借りできるスペースのプラットフォームサービサーとしてNo.1の会社だ。
最先端のテクノロジーで不動産市場をアップデートし、スペースシェアを通して多様な体験を創造するマッチングサービスで急成長し、東証マザースにも上場を果たした。
重松さんとは約10年前に初対面で、山形県高畠町の廃校再生プロジェクト‘熱中小学校’の相談をして僅か10分ほどで、私は目の前の若者に(当時は。失礼)初代校長先生をお願いしようと咄嗟に感じて、軽く切り出すと「はい、わかりました」。これで熱中小学校のドラマが始まった。
初代教頭先生になっていただいた(株)ソラコムの玉川憲社長とともに、まだ30才で「あと25年後も現役の君たちにお願いしたい」と話してから短期間に、お二人は当時まだ形になっていなかった創業会社をそれぞれ大きく成長させた話題の経営者になられた。
重松さんは、久しぶりにお会いしても、あの時と同様に屈託がなく、柔軟でかつ無理がないスタイルだ。地方の熱中小学校の授業にもよく出かけてくださっている。
私は日本アイ・ビー・エム時代に少しだけ工場のラグビー部のマネージャー役をやっていて、試合で人数が足りない時に、「その位置に立ってけ、ウィング役」を何回かやらされたことがある。敵のキックオフで私のところにボールが来て、キャッチしたのはいいがそのまま突っ込んで、下敷きになって、‘ノットレリースボール’ でペナルティーになるは、顔の皮が捲れるはの苦い思い出がある。その時の試合相手、NTT東日本(株)に重松さんは入社するが、退社してベンチャ―に入り、そして自身で起業された。
‘シェアリングエコノミー時代が来る’ という信念一筋で、使われてないスペースを求めて多様な活性化を提案している。最近の自社の株主総会を、お寺で決行したのは、さすがだ。
さて、重松さんは根っからのラガーマンだ。千葉県出身の重松さんは、当時花園目指して千葉東高校に入り、キャプテンになる。そして我が憧れのフォワードのNo.6フランカーだったという。
ラグビーのフランカーNo.6はフォワードではあるがスクラムで左サイドについて、スクラムを押しながら目はボールの位置を、体はいつでも飛び出せるダッシュ前の体制だ。
初動のチャンスを生んだり、ピンチをつぶしたり、影のゲームメーカーなのだ。 バックスの10番、スタンドオフはチームの要としてのゲームメーカーであるが、ラグビーでは皆に現場での忠実な役割がある。献身的にフォワードとバックスを地面(グラウンド)でつなぎ役をフランカーが担っているチームの試合はダイナミックで面白い。
重松さんのビジネススタイルにはこの、周囲の状況をすばやく判断して果敢に行動する、というのがある、しかも勝利の流れを感じると一騎加勢に流れ込む ‘乗り’ も忘れない。
創業後、数年でシェアリングエコノミー協会の会長になった。でも「今はシェアリングは当たり前になりました。再利用価値を生み出すという、サステナビリティがテーマです」と自身の活動テーマを仕切り直しされている。
流れを読んで、自身も流れを創りながら辛抱強くビジネスを開拓し、時代の先を行きながら、しかしあまり行き過ぎない。
なぜならば、目的はトライをみんなで取るためだから。
トライをとってもはしゃげる時間もつかの間に、黙々とまたポジションに戻り、果てしなくノーサイドまで走り続けるのだ。
重松大輔さんのインタビュービデオはこちら: