第19章 まきりかさんは ‘小さな学びの場を創る遊園地’ の園長さん
まきりかさんには、私の「老いてからでは遅すぎる」の編集をしていただいた。自費出版ではなくまきさんの「海辺の出版社」から出版ができた。ほとんどの全国の熱中小学校の校歌を生徒さんと授業の中で創っていただいている、もう身内のような人だ。
熱中小学校の音楽の先生としての正式な紹介文では、「作曲家・脚本家。音楽プロデューサー。海辺の出版社 代表。コンサルティングコピーライター。金沢大学法学部を卒業後、株式会社ハドソンにて「桃太郎電鉄シリーズ」の音楽を製作したのをキャリアの皮切りに、作曲家としてTV CM、J-POP、ゲームなどの分野で活躍。。。」とある。
一言で言えば、依頼主の心を音楽と言葉の中に込めて社会に伝えるプロフェッショナルのようだ。
私との接点では、出版をしたい人たちを集めて教育コースを提供、参加しているうちに‘自分でも本を書いて出せる’という気になって行き、「海辺の出版社」から無事出版、2版を重ねた。音楽デビュー法を教えるコースからは、歌手誕生!
音楽を作詞、作曲し、自身で歌って発売、そして本まで出したのが、宮城県丸森町にある‘いなか道の駅やしまや’店主の八島哲郎さんだ。八島さんは出版にあたって、まきさんの指導でクラウドファンディングにも成功する。
八島さんは「もし丸森の熱中小学校に入らなかったら、まさか自分が挑戦することはなかった。」といつも私を喜ばせてくれる生徒さんの一人だ。
出版も作曲も、NOTEやYouTubeなどで誰でも自分の作品を発信することができる時代になって、‘貴方も’というひと押しを、まきさんは‘学びの場’を創り、自分でもそれを実践して見せてくれる。
そうした‘学びの場’を創り続けるまきさんが、なんと大学院に入学、首席で卒業されたという。
「私が横浜国大大学院に行こうと思ったのは、自分の作る曲が、聴く人にどんな作用をするのかを科学的に解明したかったからです。
音楽で癒すことには元々興味はありましたが、これまで30年以上、作曲家としてそれなりのものを世に出してきたものとして、スピで言われる宇宙の周波数とか、根拠の乏しいヒーリングミュージックとは、一線を画したかった。それが動機でした。
そうしているうちに、もし自分の作る曲にそれができるならば。医療や介護の世界で役立つ商品サービスの開発に寄与したい、というふうに考え始めました。
そして私の曲が認知症や精神疾患の症状を癒す「回想法」の道具として有効なのではないか、と考えるに至り修士論文でその実験結果と検証をまとめあげることができました。
研究はまだ入り口の扉をようやく開けたところです」(まきさんのFaceBookから)
そして学長賞を受賞されてしまうとは、周囲の我々はまるでゲームを見ているみたいな感じなのだ。
一人息子さんを育て上げて、そして再婚されて、人生のターニングポイントに(いつも)立つ才女、次はどんな人の背中を押してくれるのか?
依頼主以上にもっと自分ご自身の心を言葉や音楽で発信されそうな、人生の新しいステージに立たれている、そんな、まきりかさんの丸森の授業の最後のチャートは
「人生は、まだまだ思いがけない展開に満ちている」
でした。
まきりかさんのインタビュービデオはこちら: