第16章 大間ジローさんの「都会と田舎をつなぐ」音楽の旅路
大間ジロ―さんが秋田県から上京したのは1973年3月、ちょうど50年前になる。
3年後に小田和正、鈴木康博の ‘オフコース’ に参加して1989年2月26日に解散するまで、ドラムのメンバーとして次々とヒットを飛ばし、オフコースは音楽界の頂点を見た。
昨年は40周年を迎えて、NHK TVで伝説の武道館ライブ特集番組も組まれた。
秋田県に戻られた大間さんは、岩手県在住の三味線演奏者・HIROさん(黒澤博幸さん)と「TEN-CHI-JIN」を結成し、ドラムと津軽三味線のコラボの世界を追求し始める。
山形県高畠町役場の齋藤企画財政課長(当時)(オフコース、大間さんの熱烈ファン)から音楽の先生にと紹介され、恐れ多くも受けていただいてから全国の熱中小学校に行って授業やライブコンサートを行っていただいている。
2011年の東日本大震災の後、「TEN-CHI-JIN」は復興の応援活動で毎年演奏活動を重ね、 2022年には東日本大震災に加えて台風19号の被害にあった宮城県丸森町で熱中小学校の授業で音楽祭に来ていただいた。
阿武隈急行の無人駅「あぶくま駅」はトンネルの間にあり、周辺に人家はまったくないが、駅前に「丸森フォレストラウンジ 天狗の宮産業伝承館」という木造の建物がある。私が4年前、この無人駅に降り立った時はこの「伝承館」は開いてはいたが、猫が出入りするような建物だった。これを丸森町役場の尽力で国のワーケーション整備事業で整備した経緯がある。しかし隣家は皆無で電話の繋がりもいま一つのこの建物があるのは、以前はここから阿武隈川下りの起点だったからだという。このあたりの川が浅くなって川下りがなくなって、ポツンと木造の建物が残された。
この「伝承館」を音楽祭に使おう。周辺に人家がないのだから大きな音も出せるので、大間ジローさんの「TEN-CHI-JIN」には最適な場所だった。
2022年3月はまだまだコロナ禍、そしてなんとその週に地震で阿武隈急行と町民にも大きな被害が出た。東北新幹線も止まり、阿武急も不通になった。しかし音楽祭の準備は進んでいる。
音楽祭の2日前、なんか嫌な予感がして私は都内の出先から丸森町役場に行かなければならないと考えて、東北新幹線が不通の中、ANAの臨時便で仙台空港経由、丸森町に向かった。そして演奏前日の朝、町民にも地震被害があるという難しい中で役場と話し合って、音楽祭を決行した。秋田から大間さんはたくさんのドラムを積んで車で山形まで来ていた。HIROさんは大雪の中、東北自動車道が不通で、岩手から下の道路で準備。コラボをする鍛鉄家加成さんとの鍛冶屋作業の火入れの準備も進んでいた。結果としてこの難しい状況の中、皆が燃え上がった演奏会になった。
都会的な小田さんの作詞、作曲が多いオフコースの武道館の演奏をトップに、東京中心の音楽界で大成功しながらも解散。秋田に戻って東北で自分のルーツを探していた大間さんにはこの津軽三味線とのコラボパワーは力になった。
「TEN-CHI-JIN」は、2014年、日西交流400周年を祝い、スペインでフラメンコギターの巨匠カニサレスと共演するなど海外にも進出、2016年には世界的舞踊家・フラメンコ界の巨匠 小島章司とのステージを山形県米沢でするなど進化してきた。
コロナ禍の3年に大間さんはネットやデジタルに傾斜してゆく。
リモートで演奏して編集する試み:https://youtu.be/3y-RnLFlj54
や我々の音楽祭でもネット経由の配信はとても質が良くて好評だった。
そして「TEN-CHI-JIN」は最近WEBを刷新して宣言した。
「東北のメッセンジャー Soul & Beat TEN-CHI-JIN は、結成以来「自然と共に生きる」をテーマに音楽活動を行い、近年、世界初の「デジタルSHAMISEN 音楽」を完成させました。その音は、美しく斬新。歓喜溢れる前代未聞のサウンドをお愉しみください」
大間さんは全国の熱中小学校での授業から、秋田県にもこうした熱中小学校のパワーが欲しいと、これまで私と何度も県下の自治体回りをしてきた。
そして今年その芽が具体的に育ってきているのだ。
大間さん、あきた熱中小学校開校で、大間さんの東京と地方のバランスを目指した旅は完成ですね。
大間ジローさんのインタビュ―ビデオはこちら: